エッセイ

思いつくままに…
今年のはじまりに

みなさま新年おめでとうございます。
今年がよりよい年であることを願っています。

昨年は体ばかり忙しくて実際の仕事があまりできなかったような気がしていましたが、考えてみますとまず8月に世田谷区民会館の杮落しがあり、ぼくの作曲した「螢」を上演してもらいました。ぼくも一生懸命に取り組みました。

10月には、僕が多感な青少年時代を過ごした京都で、憧れた京都大学の清風荘という美しい庭と木造和風建築の中で講演の機会もありました。'テクノロジーが美となる時'という大きなテーマですが、僕は僕が今まで経験した舞台や思い出など、織田紘二先生にもお手伝いいただきながら話しました。文化や芸術は軍事力、経済力以上に国を守る力があるものと僕は信じているという話もしました。
若い学生さんたちや,スタッフの方々は、身体の不自由な僕を椅子ごとお座敷のレクチャー室に運びあげてくれて、静かに耳を傾けてくれました。
僕の知らないテクノロジーを駆使し、知性も感性も備わりおまけに優しくて力持ちの彼らには、実に頼もしさを感じました。とても素敵な非日常の経験でした。

そして12月には、藝大教授の花柳輔太朗さんや藝〇座の皆さんや演奏家の皆さんの御協力で、芸大の能ホールで復曲作品に舞踊をつけた試演会と、紀尾井小ホールで杵屋佐吉さんと「子どものための邦楽 クリスマスコンサート」を行いました。

今年の抱負というのはまたちょっと違うのですが、最近、パーキンソン病になって良かったと思ったりもしています。
変に思われるかもしれませんが、どうしてかと言いますと、もし病気にならずに三味線をずっと弾けていたとして、どこまで芸が良くなっただろうかと思うのです。
70歳を過ぎ80歳になった時に、これから達人の道を模索しても無理だと思います。名人の道ならあるかもしれませんが、しかし名人というのは主観的なもので、客観的にも主観的にも真の名人かどうかはわからない。
そういう時パーキンソン病になってしまったから、これはもう三味線を弾くのは止めるしかない。ならばぼくが一生の仕事としてこれからやることは何かと考えた中で、後進への示唆のようなことができるのではないかと思いました。
そんなところに織田さんから電話があって、少し前から話していたことを思い出していただいて、復曲の会をやろうということになり、始めたのが、さきほど申し上げた復曲作品の会です。

創邦21でも、「創作のキモ」は絶好の課題をもらっています。昨年、いろいろ危惧を持ちながら思い切って取り上げてみた「紀文大尽」は、ひとつの道しるべになったのではないかと思います。
今月29日に行う「キモ」では、その才能が作曲家として長唄の歴史の中で一、二を争うのに、それに比べて評価が低いとぼくが思っている三代目杵屋正治郎のことを、「松の翁」を取り上げてお話します。彼の天才を勉強しておきたいと思います。
今年の秋の創邦21の作品演奏会にも出品します。

ぼくの進む方向、どういう方向へ行くか――
今まではぼくの考える日本の文化についてのパイロットとしての役目を担わないとと思っていました。今は、もっと自分自身を深めるための勉強の方が大事と思っています。
これも辛い病になって得た境地ですので、考えてみればパーキンソン病になって悪いことばかりではなかったと思うのです。
残り少ない命を活かして励んでいきたいと思っています。

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